シリンでは、当グループ在籍の女性の体験ストーリーをノンフィクションで公開しております。今後登録されるユーザーの方にお役に立てていただければと思います。掲載されている文章内容や写真は、本人の承諾を得て掲載しております.。

 

奇跡の大逆転ストーリーSP

 

東京都 せりな 24
この度はオーシャンズリクルートさんに取材を受ける事になりました。
オーシャンズリクルートで登録された方には是非、年収2千万円を目指していただきたいですね。

 

年収2千万円だと月収で200万円強。毎月、給料日になると税金などもろも引かれても185万円ほどが指定の口座に振り込まれます。
特に贅沢をしなければ2か月もすれば貯蓄は400万、半年もすれば通帳は1200万円になっています。
それでも給料日になれば毎月、毎月185万円が振り込まれてくるのです。
これが年収2千万円の生活です。

 

ちょっと現実味のない話だなぁと思うかもしれませんが、実際に『世の中には年収2千万円を稼いでいるホステスはゴロゴロいるんです。』
ぶらっと銀座に行けば衝動買いで30万円の腕時計を買ったり、車を買うときも値段なんて気にせず、欲しい車を探して即金で買います。
毎週エステに通うのもいいですね。
食事は毎日外食。高級レストランには顔パスではいり、ゆっくりとワインを飲みながらコースを味わう。
少し飲み足らなければ都内の一流ホテルのラウンジで夜景を見下ろしながら軽くカクテルを。
『週末は時間があるからバリにでも行こうか?』なんて話をするのもいいですね。
こんな非日常生活を毎日当たり前のように出来る。それが年収2千万円なのです。
そして、皆さんにも目指してもらいたいのが年収2千万円の生活なんです。

 

年収2千万円を達成するには年収2千万円の仕事を知らなければ実現できません。

 

「”収入は能力より働く場所で決まる”」これが現実です 異業種に挑戦する事で今までの人生観を全く変えてしまうほどの経験が出来ます。 そうすることにより、夢物語であった年収2千万円にぐっと近づけるようになるでしょう。

 

本気で年収2千万円を目指す!新しい人生に是非、足を踏み入れてください。

 

奇跡の大逆転ストーリー1

 

東京都 K・Yさん 29歳
-----わずか2カ月で"67万円"オーバー

 

これまで、まともな恋愛もしたことがありません。いとこや周りの友人もどんどんと結婚していきます。いとこが全員、大手や大企業に勤めているので、正月の集まりや法事 同窓会などでは本当に情けない思いをしていました。

 

しかしながら、そんな現状をどうすることもできず、「自分の人生はこのままで終わっちゃうのかな」と思っていたある日、偶然にもネットで、「オーシャンズリクルート」を見つけました。そこに登録している人の中には、自分の何十倍もひどい状況から、こんなにも成功されていることに本当に驚きました。また、「自分にも何かできるかも」という自信が強く湧いてきました。

 

そして、オーシャンズリクルートの登録したのがきっかけで、高収入のバイトや副業について知りました。そして、担当者のお話通りに、自分に合った稼げるお仕事を教えていただきました。会話するだけで、直接会わないで、収入を得ることができるというのは、私の性格に本当に合っていると思います。

 

副業バイトを始めて2カ月で、67万円を超えました!そして、今では、おそらく同年代の大企業のOL以上に収入が増えて、今まで迷惑ばかりかけていた両親に旅行に連れていったり、親孝行ができるようになり、ぎくしゃくしていた親子関係が改善されました。しかも、今では、法事などで親戚と会っても、悔しい思いをすることも全くなくなりました。自信がついてきたので、人とコミュニケーションをすることにも積極的になり、副業をやっている人達の飲み会などにも参加して、今までにいなかった友達というか仲間もできてきました。

 

身につけた「話術」を活用して、リアルな店舗型でメンズエステにも挑戦しようと思っています。サポートの担当者さんに、お客さんの獲得方法も教えていただいたので、来月からチャレンジしてみます。恐らく、数カ月後には月収89万円は確実に超えると思います。収入も大企業のOLさん以上になり、さらに、仲間もでき、何より、自分に自信がつきました。

 

面接担当の佐藤さんからいただいた「人生はいつからでも、何度でも必ずやり直せる!」という言葉を胸に、これからも自分のスタイルで楽しく仕事をしていけたらと思っています。

奇跡の大逆転ストーリー2

群馬 柏原美里 21歳
19歳の不良少女が、
六本木のキャバクラで働き
3ヶ月でNo.1になった話

 

------母に一軒家のプレゼントをしたい、、
━━━━━━━━━━━━━━━

 

もうこの際なのですべてを正直にお話します。
私は18才の時、非行にはしり、2度の逮捕を経験しています。

 

本当にどうしようもなく、情けない女です。

 

世の中に「凡人」という言葉が存在しますが、私はその凡人が天才に見えてしまうほどの下の下の下、まさに底辺とも言える人間でした。

 

中学校というよりか、むしろ小学校からろくに学校へも行っていなかったので、小学校卒業ともろくに言えないような人間です。

 

当時はほんと暴走族(レディース)がかっこよく見えてしまいすぐに入会をしました。世の中の流れに歯向かうことこそが女の中の女だと勝手な妄想を膨らまし、非行の階段を着実に上り続けていました。

 

爆音をまき散らしながら街中を走り回るのは日常茶飯事で、レディース同士の喧嘩にも明け暮れていました。
今思えば、なんて馬鹿だったんだと穴があれば潜りたくなります。

 

一度目の逮捕の際には、反省どころかむしろ「私に箔が付く」なんて馬鹿なことを思っていたのですから、ほんと手の付け所が無いほどの馬鹿です。

 

そんな馬鹿な私ですが、二度目の逮捕の時に私の人生を変える大きな出来事がありました。

 

二度目の逮捕となった私は、またこりもせず1mmも反省の色を見せませんでした。
冷たい床に座り込み、ただじっと反抗的な態度を取っていたのです。

 

そんな時、母親から一冊の本と、一枚の手紙が届きました。
私はその本と手紙を受け取り、また冷たい床へと座りこみました。

 

母親から手紙なんて一度ももらったことの無かった私は、照れをひた隠しにするかのように本と手紙を部屋の隅へ投げ飛ばし、また腕を組み静かに黙り込み始めました。

 

すると同部屋の女性が突然私に話かけてきたのです。

 

「あんた、今、手紙貰ったんだろ?母親か?読んどいた方がいいよ。絶対読んどけ」

 

いきなり話しかけてきた女性に、私は無視という選択肢を取りました。するとその女性はいきなり立ち上がり、手紙を拾って私の目の前に突き出しました。

 

「いいから読みなさい!」

 

その女性のあまりもの迫力に私は手紙を受け取り、封筒を開け、中の手紙を広げました。
その瞬間から、私の頬に大量の涙が流れ始めてしまったのです。

 

手紙の中にはたくさんの内容が書かれていたのですが、私の心に一番響いた内容があります。
少し恥ずかしいのですが、すべて包み隠さず今回ここにその内容の一部をお伝えしたいと思います。

 

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美里、ずいぶんと辛い思いをさせてしまったね。ごめんね。
美里が今どれだけ辛い思いをしているか、お母さんわかるよ。
美里はいつも頑張り屋で、真っ直ぐで、とても優しい子だから、お友達を想っての行動だったんだね。そんな美里をお母さんは誇りに思ってるよ。
ただね、美里。美里は頑張りやさんだから、たまには甘えることも必要だよ。
あなたが泣きたいときは、泣いてもいいの。その時は私も一緒に泣くから。
あなたが逃げ出したいときは、逃げたっていいのよ。その時は私も一緒に逃げるから。
でもね、命だけは大切にしてちょうだい。
もしあなたがこの世に居なかったら、お母さんにとっては生きる価値が一つも無いの。
辛くなったらいつでもお母さんのところへ戻っておいで。
あなたは私の大切な娘なんですから。
あなたは私のすべてなんですから。
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今、この手紙を読み返してみても、やっぱり涙が出てしまいます。母親ってどうしてこんなにも優しいんだろうって心から思ってしまいます。
私が今こうしていられるのも、全て母親のおかげです。

 

母親はいつも私に言います。

 

「人には正直に、そしていつも優しくいなさい」

 

私は今でもこの言葉を心に刻み生きています。
そのおかげもあって、今こうして最高に幸せな人生を歩めているのだと思います。

 

私の人生はまさにこの瞬間から始まりました
私はこの母親からの手紙で人生が劇的に変わりました。
劇的という言葉すらも当てはまらないかもしれません。
180度ひっくり返ったのですから。
まさに私のターニングポイントはここにあると言っても決して過言ではありません。

 

ここからの私の人生は一言でいうのなら、

 

「全力疾走」

 

まさにこの言葉がぴったり当てはまると思います。

 

私は母親になんとか恩返しをするためにも仕事で成功を納め、その姿を見せたいと思ったのです。

 

「限界まで頑張ってみよう!」

 

まさに私の第二の人生が始まった瞬間でした。

 

しばらく実家で家事手伝いをしながらスマホを片手に、何かこんな自分でもできる仕事がないかと、探してたら偶然にも水商売の世界があるのを知りました。

 

恐る恐る母親に相談したところ・・・

 

「美里が真剣に決めたことならお母さんは応援するだけだよ」

 

と言ってくれました

 

私は覚悟を決め上京して派遣事務所へ面接しに足をはこびました。
面接していただいた方がそれだけ、覚悟を決めているならと六本木の某有名店を推薦してもらえました。

 

クラブホステスを選んだ私は「全力疾走」無我夢中で仕事に取り組みました。

 

その結果、わずか3ヶ月でお店のNo.1となり、そのことを報告した母親は心から喜んでくれたのです。

 

暴走族(レディース)の時に養った絆はけして無駄ではなかった・・・
どんな経験も無駄はない・・ 母が幼いころから私に言い聞かせてきた言葉をようやく理解することができました。

 

これが・・・

 

なにをやっても中途半端だった私が、生まれて初めて何かを成し遂げた成功体験ストーリーです。

 

狭いアパートで女で一人私を育ててくれた 母親に一軒家のプレゼント

奇跡の大逆転ストーリー3

 

埼玉県 T・Rさん 25歳
◆本職のスキルを活かし「月58万円」を稼いでます。

 

----私は何をしても続かない人でした。

 

最初の就職先はメーカー系企業。 しかし、勤め始めて3ヵ月で上司と衝突し、退職してしまいました。 それ以降に就職する会社も「面白くない」、「やりたくない」、「私のやりたかったことじゃない」と就職しては辞めてしまうの繰り返しでした。そうしたことをくりかえしていくうちに、私の履歴書には入社と退社の繰り返しとなってしまい、ついに、私を正社員として雇ってくれるところはなくなってしまったのです。

 

生活のためには働かなくてはならない!
結局、私は派遣会社に登録しました。

 

ところが派遣も勤まりません。派遣先の社員とトラブルを起こしては辞めてしまう....履歴書には辞めた派遣先のリストが長々と追加されるのでした。

 

そんな日々が続いたある日のことです。私に新しい仕事がやって来ました。大手スーパーのレジ打ちの仕事です。

 

ところが、勤めて1週間もするうちに「私はこんな単純作業のためにいるのではない」と考えるようになったのです。

 

そんなことを思っていた矢先、お母さんから電話がかかってきました。

 

「帰っておいでよ」

 

母の一言に決心し、辞表を書き、荷造りをしてたとき、机の引き出しの奥から1冊のノートを見つけました。

 

幼い頃に書いた大切な日記でした。
そのノートに「ピアニストになりたい」と書かれていたページを見つけました。私が唯一続けられたもの、それがピアノの練習でした。「いままたいやになって逃げ出そうとしている」....そして思い起こしたかのように、お母さんに泣きながら電話しました。

 

「私、もう少しここでがんばる」と....
私は辞表を破り捨て、翌日も単調なレジ打ちの仕事をするために出勤しました。
とある時、「2、3日でもいいから」とがんばっていた時に、ふとある考えが浮かびました。

 

「ピアノを練習していくうちに鍵盤を見ずに、楽譜を見るだけで弾けるようになった。」と....

 

そして、心に決めました。
「そうだ、私流にレジ打ちを極めてみよう!」
私はキーの配置を覚え、ピアノを弾く気持ちでレジを打ち始めました。すると、不思議なことに、これまでレジしか見ていなかった私は、今まで見もしなかったところへ目をいくようになったのです。

 

最初に目に映ったのはお客さんの様子でした。

 

「ああ、あのお客さん、昨日も来ていたな」
「ちょうどこの時間になったら子ども連れで来るんだ」
「この人は安売りのものを中心に買う」
「この人は高いものしか買わない」など....

 

そんなある日、
いつも期限切れ間近の安い物ばかりかうおばあちゃんが5000円もする尾頭付きの立派なタイをカゴに入れてレジへ持ってきたのです。

 

私はびっくりして、思わずおばあちゃんに話しかけました。

 

「今日は何かいいことがあったのですか」
「孫がね、水泳の賞を取ったんだよ」
「いいですね。おめでとうございます」

 

これがきっかけで、私はたくさんのお客様とお話ができるようになったのです。
ある日のことでした。
「今日はすごく忙しい」と思うほど、忙しい日でした。

 

そして店内放送が響きました。 「本日は込み合いまして大変申し訳ございません。どうぞ空いているレジにお回りください」

 

ところが、わずかな間をおいて、また放送が入りました。
「本日は込み合いまして大変申し訳ございません。重ねて申し上げますが、どうぞ空いているレジにお回りください」

 

そして3回目、同じ放送が聞こえてきた時に、初めて私はおかしいと気ついたのです。そして周りを見て驚きました。

 

お客様は自分のレジにしか並んでいなかったのです。
店長はお客様に「どうぞ空いているあちらのレジへお回りください」と言った
その時でした。

 

「私はここへ買い物に来ているんじゃない。あの人としゃべりに来ているんだ。だからこのレジじゃないとダメなんだ」

 

その瞬間、私はワッと泣き崩れました。
その姿を見て、お客様が店長に言いました。

 

「そうそう。私たちはこの人と会話をするのが楽しみで来てるんだ。今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ。だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ。だからこのレジへ並ばせておくれよ」

 

私はポロポロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。
仕事というのはこれほど素晴らしいものだと、初めて気ずいた瞬間でした。

 

その時。すでに私は、昔の自分ではなくなっていたのです。

 

●現在は本職のスキルを活かしライブチャットとメールレデイで、「月58万円」を稼いでます。

 

奇跡の大逆転ストーリー4

 

東京都 A・Tさん 26歳
______都内某有名店 不動のNo.1

 

●月収は約300万円

 

●TVや雑誌の取材に追われる毎日

 

今では煌びやかな日常と豊かな生活を手に入れた私ですが、過去の体験談を話すとかなりおどろかれます。

 

私の父はギャンブルとお酒だけが唯一の生きがいで昼間はパチンコか競輪、そして夜になると大酒を飲み家に帰ってきては暴れる毎日でした。

 

もちろんそんな父親ですから、いろんなところから借金を作り、毎日のように玄関のドアは「ガンガンガンガン」と鳴り響き、怖い人達が「金を返せ!」と怒鳴りちらしていました。
小学生の私には毎日が恐怖でしかありませんでした。

 

父はもちろん働いていませんから母が変わりに働き、お昼はパート、そして夜はスナックでアルバイトをし、ボロアパートの家賃とギリギリ食べていけるだけのお金を稼いでくれました。

 

実際、母はそんなに働けるような人ではないんです。

 

いつも病気がちで夏には脱水症状で入院してしまうくらい身体が本当に弱い人なんです。
それでもまだ幼い私らを養っていかなければいけないという想いで身体を酷使しながら毎日お金を稼いでくれました。

 

ですが、そんな必死に稼いできてくれた母のお金にも関わらず、またそれでもギリギリの生活をしなければいけない状況にも関わらず、父は母からわずかなお金を奪い取ってはギャンブルとお酒に明け暮れていたのです。

 

まさに漫画に出てくる世界がそのまま私の家庭だったのです。

 

母はいつも疲れ果てた顔をしていましたが、私ら二人姉妹の前ではいつも笑顔で接してくれて、節約に節約を重ねて私ら姉妹二人に少しではありましたがお小遣いもくれました。

 

ただでさえ生活が厳しく、また父にもお金を奪われ厳しい生活をさいなまれている中、私ら子供達の事を想ってお金を作ってくれた母に今でも感謝がとまりませんし、思い出すだけで涙が出てしまいます。

 

そんな母に私は感謝の気持ちを伝えたく、

 

_____3900円を貯める決意をしました。

 

母の優しい想いを私はしっかりと受け止め、私は無駄遣いをせずにお金を貯めて母の誕生日にプレゼントをしようと計画しました。
買ってあげたかったのはニットのセーターです。
私は母が服を買ったのを見た事がなく、いつも同じ服ばかりを着ていたので、おしゃれをしたいはずの母にどうしても新しい服をプレゼントしたかったのです。
私が買おうとしていたセーターは3900円でした。

 

当時の私には何ヶ月もかかる金額ではありましたが、母を喜ばせたいという明確な目標が出来たので私はそれに向けて必死にお金を貯めていきました。
毎月毎月どんどん貯まっていくお金を見るだけで私はワクワクした楽しい気持ちにもなっていました。
しかし、あと少しで目標達成という間近で事件は起きました。

 

私の財布からお金が無くなっていたのです。

 

朝起きたら小銭の三百円は残っていましたが、三千円が私の財布から無くなっていました。
初め私は何かの間違いかと思い財布を何度も開いては中を確認し、床に落ちていないか、鞄の中に落ちていないか、何度も何度も探しました。
しかし、私の三千円はどこにもありませんでした。

 

私はあまりものショックに呆然と立ち尽くし、その時、本当に何が起きたのか理解ができませんでした。

 

しかし、夜になり酔っ払った父が帰ってきて全てが判明しました。
私の財布にあった三千円は父のギャンブル代に変わっていたのです。

 

私はその時、怒りというよりも、

 

悔しくて死にたくなりました

 

何年も服を買ったことがない大好きな母に、服すら買ってあげられない自分の無力さに本当に情けなく死にたくなりました。

 

その時からです。

 

私は「お金」というものに対して真剣に考えるようになりました。

 

元々読書は好きでしたから様々な本を読みあさり、またネットでも高収入関連の仕事や色々な情報をかき集めました。
中には「お金が全てではない。お金に振り回される人生はもう止めましょう」というような内容の本も多くありました。
確かにそれは否定しません。
否定はしませんが、私は何かこう綺麗事のようにどうしても聞こえてしまうのです。
そこからさらに仕事に仕事を重ねた結果、私が行き着いた結論、
それは、

 

お金は”幸せの99%”を買える

 

という結論に至りました。

 

批判はもちろんあると思います。
でも私はその批判を受けるのを承知で今回あえてこれを言わせて頂きました。

 

「お金で幸せの99%を買える」

 

少なくとも私の大好きな母にアルバイトを辞めさせてボロアパートから脱出し、美味しいご飯を毎日食べさせてあげる事ができ、おしゃれな服も思いっきり買ってあげられる事で、母も私も大きな幸せを感じられます。

 

お金が無い状態では母はお昼も夜も働きっぱなしの生活を続け身も心もボロボロになり、ボロアパートで毎日ギリギリの生活をしなければいけません。
ですがもしその時、たくさんのお金があったとしたら母は働かなくてもよかったですし、もしかしたら父親も心に余裕ができてギャンブルやお酒に溺れずにすんでいたかもしれません。

 

それでも
「お金で幸せの99%を買える」
という私の考えは間違っているのでしょうか。

 

また、例えば借金漬けの人達はお金を貸した人に土下座をして謝り、お金を貸した側の人達は借りに来た人達を社会のクズのように扱います。時には囚人のように扱われたりもします。別に人を傷つけたわけでもなく、ただお金を借りたいだけなのにです。
銀行なんかも同じです。

 

お金が無い人にこそお金を貸してあげなければ復活も何もできない世の中にも関わらず、厳しい審査を何度もされて、担保や連帯保証も付けられようやく高い利息で少ないお金を貸してもらえます。
逆にお金が有り余っている人には銀行から出向き、何とか金利を安くするからお金を借りてくれないかと銀行側がお願いしてきます。

 

移動手段だってそうです。
飛行機のエコノミークラスとファーストクラス。
同じ乗り物とは思えないくらい差別をされ、そして出てくる食事や飲み物もまったく違います。

 

食事だってそう。
チェーン店の牛丼なのか、もしくは鉄板焼きのフルコースなのか。
これらは全てお金があったら解決できることばかりです。
だから私は今回、どんな批判を受けようとも正直な事を言わせて頂きたいのです。

 

「幸せの99%はお金で買える」という事実を。

 

ボロアパートで父親が暴れまくっていた家庭で育った女とは到底思えなくないですか?
なぜ私は人生のどん底から、今のような成功を掴む事ができるようになったのか。
それは、

 

「偶然見つけたオーシャンズリクルートに応募して”ある”お仕事をもらえたから」

 

これ以外にありません。
この高収入のお仕事が私の人生を180度変えました。これは揺るぎようの無い事実です。

奇跡の大逆転ストーリー5

 

東京都 S・Kさん 22歳
父のリストラで学費なし
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「オーシャンズリクルートがあって、本当に良かった……」

 

大学の授業料を払い、普通の学生生活を送るこ
とができたのは高収入アルバイトのおかげだった。
高校1年生のとき、父親はリストラされた。製造業にも派遣を認める派遣法改正の影響だった。何年就職活動しても正社員になることはかなわず、非正規職を転々とした。

 

 

やがてアルコール依存になり、生活費を入れなくなった父親に代わり、母親が時給のパートで生活を支えた。
収入はせいぜい月14万〜18万円。私を私立大学に通わせるお金はなかった。

 

高校は進学校で、大学進学は当たり前の環境だった。祖父母が援助してくれたのは入学金までで、授業料は奨学金とアルバイトで何とかする計画だった。

 

日本学生支援機構から毎月10万円借りた。“奨学金”と名付けられているが、返済義務のある有利子の借金は4年間で480万円にもなる。
入学してすぐに自宅近くの飲食店で働き始めたが、アルバイトは時給900円。授業を優先すると1日3〜4時間しか働けず、せいぜい月3万円にしかならない。

 

授業料は年間100万円強。途方にくれた。

 

「大学2年生になる直前の春休みに、学校の掲示板にあった私費留学のポスターを見た。50万円が必要だったけど、どうしても行きたくて、もう高収入のお仕事選ぶしかないって瞬間的に思いました。心の底からお金が欲しいと思った」

 

その日のうちにオーシャンズリクルートに応募して、採用された。翌日出勤してお店から3万7000円のお金を日払いでもらった。

 

「こんなにお給料がもらえるの、」って驚きました。1カ月くらいで最初の目的だった50万円は超えた。でも、全然仕事を辞める気が起こらなくて、まだ続けています。奨学金の返済があるから就職しても辞めません」

奇跡の大逆転ストーリー6

 

神奈川県 A・Mさん 27歳
-----孤独と絶望

 

私はつい最近まで、会社員で朝から夜遅くまで働いていました。
(もちろん残業代も出ない会社でした)

 

家に帰ったらヘトヘトで、
コンビニ弁当とチューハイを飲んで、
そのまま倒れるように寝る毎日。

 

自分の未来に希望も持てず、
仕事も行きたくないし、
上司や同僚にも心を開ける人は一人もおらず。

 

人だらけの東京で、
本当に孤独を感じながら生きている人間でした。

 

このまま年をとり、大した夢を叶えることもできず、
自分の人生は終わってしまうのか・・・
そんな暗い気持ちで、日々を過ごしていました。

 

でも、今は夢のような毎日を過ごせています。

 

自分の好きなときに、好きな場所に行って、
食べたいものを食べて、好きなことをして過ごす。

 

2年前の自分からは、想像できないくらい、
希望に満ち溢れた毎日を送れていると思います。

 

平凡で、自分に自信もなくて、
何事にも卑屈だった私が、
劇的に変わったきっかけは、高収入アルバイト、
「オーシャンズ・リクルート」との出会いでした。

 

友人から効率よく稼げる高収入バイトがあるからと、
スタバで話を聞いたんですね。

 

週末だけシフトを入れて「20万円以上稼いでるよっ」て、
毎月+20万円というあり得ない額の貯金が出きると言われさらに初心者が働いても、
経験者が働いてももほぼ同じ高収入が得られるという・・・

 

最初は、
「こんな怪しいのぜったいおかしいよ(笑)」
と思いました。

 

だって、そんな上手い話があるんだったら、
私は今まで何をやっていたんだ、ということになるじゃないですか。

 

でも、1日2時間からでもできると言うし、
実際に短時間で稼いでいる人もたくさんいるそうだし、
友人がそこまで言うのなら、応募する価値はあるかなと思い、
思い切って面接を受けて働いてみることにしたんです。

 

すると、、、、

 

月末には20万円が、振り込まれていたんです!

 

私がしたのは誰でもできる簡単なマッサージ 教えてくれる事に従って接客したことだけ。
それだけで、短期でこんな高額なお給料がこれだけもらえるとは。

 

期待していなかっただけに、大きな驚きとともに、
もっとシフトをいれれば、いくらまで稼げるんだろう?

 

と、ワクワクした気持ちにもなりました。

 

その後は、シフトも増やし、
今では自分の口座に400万円を超える金額があります。

 

ほんの2年前には考えられなかった金額です。

 

毎日が職場と家の往復で、いつもヘトヘトで表情も冴えず、
何も希望をもっていなかった自分ですが、

 

今は自由に海外旅行を満喫して、
高級ホテルに躊躇せずに泊まりながら、好きなことを楽しむ。

 

こんな素晴らしい毎日を送ることができるとは、
思ってもいませんでした。

 

 

たまにお仕事をすれば、それで生活するのに十分なお金と、
旅行するお金を稼ぐことができます。

 

だから、それ以外は自由な時間。

 

いろんな国で、自由に時間を過ごしているから、
その日によってスケジュールは全然違いますけど(笑)

 

副業をやって本当によかったなと思っています。

 

毎日憂鬱な気持ちで会社に行く必要もないし、
嫌いな上司との苦痛な時間を耐える必要もない。

 

「はぁ、こんな嫌な毎日がいつまで続くんだろう?」

 

って思っていた頃が懐かしいくらいです。

 

逆に自由時間が多すぎて、
退屈に感じてしまうこともあるのですが(笑)

 

人間、強く願っていれば、その思いは叶う。
私はそのことを本当に強く実感しました。

 

 

自分も最初は半信半疑でしたが、
豊かになるためには、どこかで行動に移さなければなりません。

 

何も行動を起こさず、ただ願っているだけでは、
人生は変わりません。

 

訪れたチャンスを、軽い気持ちで掴んでみる。

 

ほんの少しのきっかけで、人生というものは、
大きく変わっていくものだと思います。

 

私は特に接客の経験があったわけではないですし、
仕事のできるタイプでもありません。

 

それでも、このように結果を出すことができたのは、

 

「誰がやっても高収入を得られる」

 

オーシャンズ・リクルートがあったからだと思っています。

 

私のように、報われない会社員の生活が嫌になって、
時間の自由、経済的な自由を手にしたい人にも本当におすすめです。

 

これからも末永く宜しくお願いしますm(_ _)m

奇跡の大逆転ストーリー7

 

東京都 S・Hさん 25歳
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報告書

 

H27年8月24日 
期限内に完済が警告された金額は約1億円”
頼る身内も一切なし。
貯金もゼロ。
免責不許可事由のため自己破産もできない。

 

また 正規社員 パートアルバイトの収入では、
       期限内に "1億"の返済は不可能
         及び一家を救済する手段は、

 

             ほぼ「皆無」0%

 

             司法書士 田中 稔
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___父が残した1億円の借金

 

わたしが、21歳の時、
突然、父を亡くしました。

 

最初はあまりにも早い別れにパニックになりましたが、
ただ悲しんでいるわけにも行きません。
父は事業を営んでいたのですが、母が病気がちでそれを私が引き継ぐ必要があったのです。

 

そのために、私は最高の環境であった大学を辞め、
同時に最愛のバレエとも別れを告げました。

 

父との別れ、そしてバレエとの別れ。
ここが私の人生の最初のターニングポイントでした。

 

父の事業を受け継いで、さあ今からどうやっていこうと思っていたところ、
父の死と同じくらいの衝撃的な事実を目にしました。

 

 

なんと、父は会社だけでなく、「1億円」という借金も残していったのです。

 

バレエ漬けで社会のことを何も理解していなかった私は

 

1億円もの非情な借金を背負う

 

事になったのです。

 

私は事業をあとつぎすると同時に、借金も引き継ぐことになりました。

 

あたし自身が何か大きな失敗をしたわけでもないのに、
突然背負わされた多額の借金。

 

当然、返すアテもありません。

 

文字通りバレエばかりやっていた人生ですし、
当然、それだけの金額を稼ぎだす能力なども
一切身についていないからです。

 

次いでに恐ろしい知らせを受けました。
免責不許可事由のため自己破産さえもできなかったのです。

 

しかし、会社の代表である私に稼ぐ手段が無くとも、
債権者の人たちには全く関係ありません。

 

連日連夜、債権者からの容赦の無い取り立て 私はノイローゼになりました

 

本当に地獄のような日々を過ごしました。

 

「私の借金は1億。来る日も来る日も返済が終わらない。
私なんかには絶対に返せるはずがない・・・」

 

と、心の底から絶望していました。

 

一時期は本当に、毎日自殺のことを考えていました。
飛び込み、睡眠薬、首吊り、リストカット・・・

 

どんな方法ならなるべく痛みを減らして死ぬことが出来るのか?

 

自殺サイトを眺める地獄の日々

 

をしばらく続けていました。

 

しかしある時、そんな地獄のような日々に転機が訪れます。

 

「高収入アルバイト」副業との出会いです。

 

当時私は父の事業を引き継ぎ、
名ばかりですが一応経営者だったので、かなり迷いました。

 

ですが、父から事業を引き継いだとは言っても、
私が経営初心者である上、そもそも稼ぐスキルがなかったので、

 

このまま事業を続けても背負った借金はいつになっても
返せないことはわかりきっていました。

 

そして私は意を決し、その副業にチャレンジすることを決めたのです。

 

そんな中、私が紹介されたお仕事は、「高収入アルバイト」でした。

 

そうです、これが私と、
高収入アルバイトとの出会いどん底人生からの転機
だったのです。

 

当然ながら、最初は何をしていいのか全くわかりません。

 

なんせ未経験ですし、
はじめての仕事場なので、スキルが何もないのです。

 

まさに、目隠しで手探りの状態でした。

 

何をしていいのかわからないのですが、紹介してもらった手前、とにかくやれることだけをやってみました。

 

というか”やるしかなかった”

 

私は必死で働き、
どうやったら効率よく稼げるか徹底的に学びました。

 

事情を知っていたオーシャンズ事務局の方からアドバイスをもらい、ひたすらに仕事を繰り返す日々でした。

 

繰り返し、失敗も経て3ヶ月が経過した頃、
ようやく仕事の"コツ"のようなものを掴むことができました。

 

そこからは面白いように物事がうまく進み、
これまでの先行き不透明を吹き飛ばすかのような快進撃が始まりました。

 

私の収入がいきなり数倍に膨れ上がったのです。

 

この時点で私は、
高額の月収(100万円)

 

といった風俗の持つ魅力に取り付かれていました。
そして、

 

高収入の鬼

 

となったわたしは、

 

風俗業界で更なる力試しをしたいという、強い衝動に駆られていたのです。

 

その思いを抑えきれず、恩人でもある母に頭を下げ、
訳を話し、許しを得ることになりました。

 

挑戦から1年半が経ち、
いまでは、父の残した会社は上手く回り始め
借金も全て返済することができました。

 

そして、風俗を辞めて再び、父の会社の代表取締役に就任し、新たな日々が始まったのです。

 

会社ではすでに優秀な社員に囲まれ、
私のこれまでの経験をはるかに上回る
たくさんのノウハウが蓄積されていました。

 

そう、ここにはお金儲け「商売」に関する
"本物の知恵"が集積されていたのです。

 

私は風俗で稼いだお金を、借金ではなく社員達の給料(人件費)に先行投資したおかげで、借金返済だけでなく本物の富を得る事に成功しました。

 

当時、社員からは
「自分達の給料を社長自らが体を張って稼いでくれてるなんて知らなかった・・絶対に起死回生してみせる!」

 

と、涙をこらえながら何度も励まし言い聞かせてくれました。

 

いま思う事は、お金が全てではないけど・・・
お金があると他人や家族を本当の意味で幸せにしてあげられる

 

あの時、
母が流がした「悲しみと怒りの涙」は、
再び「感動と感謝の涙」として流れ始めたのです。

 

そして、最後に、
1億円が返済できた全ての要因は「アルバイト」
そう、たかが、高収入アルバイトだったのです・・・

 

奇跡の大逆転ストーリー8

 

神奈川県 A・Wさん 28歳
____夢だったネイルサロン開業!

 

私は高校をいじめられて退学した、いわゆる中卒です。
当たり前ですが、私は頭がいいわけではなく、親や同級生に対しても言いたいことが一切言えないとてつもなく地味な子供でした。

 

私はダメ人間になったことを親のせいにはしたくはないのですが、事実、親の金遣いはめちゃくちゃ荒く、ギャンブルで生活費もままならない状態でしたので、給食費を期限内に払った記憶なんて一度もありません。

 

もちろん、周りの人間との会話もほとんどないので、友達なんかも一人もいませんでした。
勉強がよくできる幼馴染みとは、いつも比べられた記憶があります。

 

そんな私も歳を重ねるごとに「ネイルサロン独立」という夢を持ち始めました。
独立をすることで、社会的に成功し、周りの人間を見返してやりたいという気持ちが芽生えたのです。

 

昼間は派遣社員をしながら、5歳、歳下の「先輩」に罵倒されながらも、私は「独立」という夢だけを持って歯を食いしばりながら必死に耐え続けました。
その安月給だけでは貯金が全く貯まらなかったので、掛け持ちで高収入アルバイトをする事に決めました.

 

たまたま、ネットで見つけたオーシャンズリクルートに応募してスグに副業をはじめました!
そしたら初月から昼の仕事より稼げたので、これだ!と思い、思い切って派遣の仕事を辞め高収入アルバイト一本に絞りました。
働き始めてから半年で開業できるなんて、自分でもビックリしました!!
こんなに短期で稼げるお仕事ってあったんですね。

 

業種はメンズマッサージレディ

 

●日給42000円×週5日勤務
●月給840000円×6ヵ月
●貯金総額「5,040000円」

 

HP⇒ ネイルサロン

 

奇跡の大逆転ストーリー9

 

東京都 T・Kさん 26歳

 

____■いじめ、パワハラ、長時間労働、体罰

 

これまでは介護って立派な仕事だと思っていた。いずれ高齢化社会になるし、福祉だから優しい人たちが多いだろうって。そのときは、私なんかでも誰かの役に立てるかな、みたいな前向きな気持ちがあって、頑張ろうって。未経験、無資格で介護職になった。

 

でも、介護は本当にひどかった。すごくブラックで、連続出勤、サービス残業、経験したことない長時間労働。それと、いじめとかパワハラがすごくて、おかしくなりました。地獄のようなところでした

 

無資格、未経験だったのでパート採用、時給950円。介護施設は心優しい人たちが高齢者や地域のために笑顔で働く、というイメージだったが、私が働いたのはお泊りデイサービスという業態だった。

 

お泊りデイサービスとは、デイサービスがオプションで宿泊を提供し、24時間年中無休という法の隙間をぬった業態で集客する。数ある介護サービスの中でもブラック労働の温床となり、問題視されている。

 

今思えば、労働基準法をいっさい守ってなくて無茶苦茶でした。みんな朝9時から夜10時とか長時間労働をさせられて、イライラしてその矛先が私に向かってくるみたいな。最初の会社の比じゃないほどひどかった。

 

何人かの男性の介護職員から些細なことで怒鳴る。小さい施設でしたが、毎週誰かが辞める。私は欠員要員みたいにされて、ひどいときは15連勤とか30時間労働とか。あと介護職は読み書きが苦手な人が多くて、介護保険事業はたくさん書類があるので、全部私がやらされた

 

働いたお泊りデイサービスでは、介護職だけでなく、長時間労働に耐えられなくなって、3カ月から半年のペースで管理者が変わった。ほとんどの上司は長時間労働でうつ病になって辞めていった。

 

長時間労働はすさまじかった。日勤からそのまま夜勤、さらに帰れずに日勤をして、さらに残業で書類仕事をするという異常といえる労働が日常茶飯事だった。過酷な労働環境で離職は延々と続き、つねに人手不足。休日も呼びだされて長々と働かされた。

 

残業代不払いとか、休憩がないとか、残業を割増賃金にしてくれないとか、どれだけ頼んでも社会保険に加入してくれないとか。介護時代におかしなことは、挙げていけばキリがないです。

 

どんだけのひどい扱いをされても、ほかに行き場所がないから辞めるわけにはいかなくて、1年半続けました。どれだけ人が入れ替わってもいじめみたいな事はなくならなくて、意味なく怒鳴られたり、いじめられた思い出ばかり。

 

長時間労働は12時間を超えたあたりから精神的にツラくなる。おかしくなるんです。だけど“どうして普通に帰れないのですか?”とか不満を言ったら、クビになるって思って我慢しました。非正規のパートだから仕事を入れてもらえないと、家賃が払えないから死活問題です。介護施設には、そういう自分の状況をうまく利用されました。

 

労基法無視の長時間労働、パワハラ、いじめ、残業代不払い、社会保険未加入と、これ以上ないひどい労働環境。一人暮らしで、日々、生活費を稼がなければならないプレッシャーがあったことは理解できるが、どうしてそのような過酷なブラック労働に極度のウツ状態を脱却できたのかって・・・

 

それは高収入アルバイトのお仕事を体験したからです。

 

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__■風俗店だと、みんな優しくなる

 

長時間労働で低賃金、家と介護施設の行き来だけ。介護職の人たちは弱い者いじめが好きなので、文句を言わない私はいつ怒鳴られるかわからない。ずっとビクビクしていました。さらに介護される側の高齢者も私に対してどなり散らす事も日常茶飯事さすがに我慢ばかりしている私もおかしくなります。

 

長時間労働させられて私生活みたいなのがまったくない状況は、みんな同じだった。介護施設に勤めて1年くらい経ったとき、どうしてもお金が必要で、週1の休みだけ風俗店で働きました。

 

そしたら驚いた事に、お客さんやスタッフ、働いている女の子はみんな優しくて・・今までどんな職業よりも悪いイメージしかなかった風俗業界が、まるで楽園のようにも思えるぐらいでした。

 

私を初めて指名してくれたお客さんは70歳を過ぎた高齢者です。
その男性はとても優しくて、「風俗でこんなに癒された事はないよ」って言葉まで私に投げかけてくれました。
やる事は、介護の仕事となんら変わらないのに何で、こんなに充実してて楽しいんだろうって、心の底から思いました。

 

しかも介護では12時間働いて日額1万円程度。それが風俗だと6時間で8万円。

 

「"収入は能力より働く場所で決まる"。。」

 

まさにこの現実に気ずいた瞬間でした。

 

それからは貯金もたまり
念願のカウンセラーの資格をとる事もでき

 

今では以前の私みたいな人の悩みや相談に乗る「心理カウンセラー」のお仕事をして毎日充実した日々を送ってます。

 

もし、あの時オーシャンズリクルートに応募していなかったら

 

今の私はなかったと思います。

奇跡の大逆転ストーリー10

 

千葉県 E・Kさん 25歳
●母親に海外旅行と造園のプレゼント
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お母さん、30年も必死こいて働いて結果がこれなの

 

―― 子供の頃、どの家庭でも母親は深夜に帰ってくるものだと思っていました。

 

私の母は平日はもちろん土日も大抵終電で帰ってくるので一緒にご飯を食べないのが当たり前、
たまの休みには一日中寝ているから顔を見ることもほとんど無い…
母と子というのはそういうものだと思っていたのです。

 

しかし多くの友達と話していく中で普通はそうではないと知り、もしかして私の母はとんでもなく不幸なんじゃないか?

 

ひょっとすると自分もそんな風になってしまうのか?
そんな事を少しずつ考えるようになりました。

 

最後に母の笑顔を見たのはいつだろう。
何を楽しみに生きているのだろう。

 

起きる。

 

朝食もそこそこに満員電車に押し込まれ、
ただひたすらに働き続けボロボロになって帰宅し、
死んだように眠る。

 

そんな毎日を繰り返す母を見て育ったものですから、
自分にもそんな未来が待っているような気がしてきて
恐ろしくなりました。

 

ある日、やりどころのない漠然とした不安に耐え切れず、いつものように終電で帰宅しコンビニ弁当を温めもせずに口に運ぶ母親に

 

思い切ってこう聞いてみました。

 

「そんな毎日で人生楽しいの?」

 

と。

 

その時、蚊が鳴くような声で放たれた母の言葉は
今でも忘れられません。

 

「お前たちを食わせるためだよ、仕方ないでしょ…」

 

「…… …他の方法あるなら教えてよ」…。

 

母さん、ごめんね。

 

自分の自由を全て投げ捨てて家族のために働いている。

 

そんな母親に私は今まで迷惑ばかり掛けてきました。
年々小さくなっていく母ですが、疲れていても、今も家族の為に頑張ってくれています。
「人様の役に立ちなさいよ、人様の幸せを願いなさいよ、この世で恩返しをしなさいよ」 が母の口癖です。
母の愛は大きいです。
なかなか、照れくさくって言えないのでこの場をお借りして お母さん、ありがとう。

 

業種はメンズエステ
時給8200×5H
週5日勤務
月給504000円×6ヵ月
貯金額「3024000円」

 

season-2>続きはコチラ

 

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